ウツな文章(2021/08/01-02)

・今回のウツが割りと方向性が薄くて参っている。原因はぼんやりとわかってはいるけど。

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・直接的には、ごく単純に簿記の試験が近いというウツ。これは全然自業自得なんだけど、勉強が全然進んでおらず厳しい状態。余裕がなく、日数が縮まることに焦りが強くなってる感じがする。
とはいえこれに関してはcbt試験なのですぐに受け直せるし、それほど重要かと言われるとそうでもない。ただ、もう勉強に飽き始めてるので、やる気が続かないというのも含んだウツである。テキストを読んでまとめて覚える、という作業はわりかし好きなのだが、いかんせん問題を解くというのが好きではない。間違えるごとに謎の心理的圧迫を感じ、参ってしまう。糞だな~。むしろ、問題を間違えるほうが記憶に正しく定着するので、理屈としては正しいのだが、なんか慣れないのよな。楽しくない。

・これは前どこかで書いたかもしれないが、問題への取り組みとそのフィードバックが早いほうがおもろいし、やる気も出る。だから本当はこういう勉強に関しては、あまり独学に向いてないのかもしれない。先生などがいれば、不明点は秒で解決できる。しかし独学ならば、不明点の解決も自分で編み出さなければならない。
自分で探求する面白さはわかるからこそ、文系の大学院という場所に行ったわけだが、なぜ上記のような不明点の探求にイライラしてしまうのか。

・おそらく「そこに一切謎はなく明晰であるはずなのに、謎にみえている状態」が気持ち悪いのだろう。数学の問題についてわからないときも、同様のイライラが生じる気がする。文系の研究は本質が謎であるので、気持ち悪くならない。分かりやすく言えば答えがないから、探求に没頭できる。しかし(高校レベルの)数学の問題などは特に、答えや解法が絶対に存在するのに、それを理解できないことが苦しく感じる。自分の能力が及ばないことが悔しく、不甲斐なく感じる。
基本情報のアルゴリズムがわからなかったときも、自分の不能力を恥じるばかりで、誰かに頼ることができなかった。もしかしなくても、「迅速に誰かにきく能力」は勉強の能力に含めて良いだろう。いわゆる進学校のよさは、大体優秀な人物が友人にいて、普通に質問できることかもしれない。まあそういう環境に居たとしても、自分は率先して聞けるタイプではない気がする。

・とかいいつつ、昔はアドバイス等を積極的に求めたりできていた気がする。特に合唱をやっていたときは、向上心の塊だったので、先輩にめちゃめちゃ質問して吸収しまくっていた。どうしてそういう行動力を他の活動に敷衍できないのだろうか。マジで。

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・ウツの原因の話に戻ると、自分のなかで中心としていた行動指針のようなものが揺らいでいるために、ウツというか行動の変化が必要になっている気がする。

・今まで曲がりなりにも「書き物で食べていけたらイイナ~」と思って書き続けていた。しかし、いろんな要因がありそうは思わなくなってきた。

・重要なのは、「自分にとって書き物とは、自分に対しての楽しみ/道楽/享楽であって、他人や共同体にとってのそれではない」という、今まで隠してきた?意識が強くなってきたことであろう。
文章を書いてお金を貰うということは、誰かのために文章を書きその対価として金銭を交換するということだろう。これはもっと範囲を広げれば、学者は学術共同体のために、作家は読者のために書くのである。これは要するに、固定的な関係性と呼べる。
流動的な関係性とは、まったく偶然的なそれである。書き手自身が自分のために文章を生成しても、それに対して金銭を払う人もいる。そこには偶然的な出会いなどが含まれるうえに、計画性に含み込まれない可能性がある。しかし、安定感に欠く。要するに、書き手に金銭を払うかどうかは適当であって(対価ではないので)、どうしても「生き様」「応援」云々の形になりやすく、安定的な収入になりにくい。書いた文字数がそのまま原稿料になるわけではない。社会的貢献度も低い。
こうした思考のもと、自分は後者の道を進むことにした。あくまで自分の道楽のために書く。この文章のように、自分の精神を安定させ、のちの自分が読んで役に立つように書く。

・もちろんこれは、それ以外の文章は書いちゃいけないという禁止を意味しない。ただ、上記の発想に至ったとき、どうしても考えてしまった。たとえば、もうアカデミックな文章は書けないな、等々。しかし、あくまでそこも自由なのである。自分が書きたければ、誰かの何かのために文章を書いても良い(それが実際にできるかどうかは置いておいて)。

・ただ、こうした考えに至ったとしても、書き物で食べていく可能性はほぼゼロになったと考えるべきだろう。不安定な、いわば「変動費」としての収入は期待できるかもしれないし、その可能性は探ったほうが良いが(投げ銭機能を使いやすくする等)、安定した「固定費」として考えるべきではない。
数年考えていた、「書き物で食べていけたらイイナ~」期が終了したことで、僕は路頭に迷っている。それによる焦りが、よりウツを加速させている。

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