2022-06-26:ゲームについて①

*ゲーム(というか学習)についてのメモをはっつけておく。

 

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・①既にあるパターンを身に付ける、ということと、②がむしゃらにやって自分なりのパターンを見付ける、ということの両方をやっていけば、どのような表現ゲームもある程度の完成度になる。
そこで、③誰かにとっての価値を見出だす、は運の要素もあり難しい。ただし「誰か」の解像度を上げることで、運の要素をできる限り排除することもできる。

・理屈としては上記の通りなのだが、①~③にはそれぞれ心理的(ときに身体的)障壁がある場合が多く、誰しもできるという訳ではない。
(誰しも心理的障壁を排除できる、と想定することもできるが、現実問題として難しいのではないか。)

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・①は、反復練習が基本になるために、そうしたコツコツしたことが苦手な人には酷である。また、①には「熟練した動きからパターンを見出だす」という技術も必要なゲームがあり、観察眼がない人も厳しいことがあるだろう。②を強烈に追求する場合、①は忌むべきものにさえなる。
①は、A:上手い人の動き(お手本)からパターンを見出だし、B:パターンを反復練習する、と分解できる。
お手本が既にあるゲームも多く(暗記もの、書道など)、こういう場合はBだけで済む。
この世のほとんどのゲームは、①さえ完璧にできれば中級者にはなれる。個人的な偏見だが、官僚になるようなオールマイティな人間は、①が身に染みている人たちかと思う。
(対人ゲームは、相手の行動を読むというのも重要な要素だが、ここでは相手の動きをパターン化すると捉え、①に含めている。)

・②は、スポーツや芸術において重要になる。
スポーツでは、骨格の違いなどもあり、一般化(パターン化)できない部分が常に存在する。他の選手や教本を真似するよりも、自分で試行錯誤して「コツ」を掴むほうが早いことさえある。芸術では、手癖や声質などの個人的な違いを伸ばしていくことで、価値を産み出すことができる場面がある(これは評価軸にもよるが、現代の一般的な社会であれば、オリジナリティは歓迎されるはずだ)。
②の具体的な方法は、次のように分解できるだろう。C:とにかく何度もゲームをプレイする、D:成功したパターンを繰り返し、失敗したパターンを捨てる。
このように②の方法は、まったく効率的ではあり得ず、とにかく時間がかかる。②を遂行している間は、成長が遅くなる。そのため、せっかちな人、成長が感じられないとつまらなくなる人にとっては辛いだろう。また、何が成功で何が失敗なのかわからないときも、上手く行かないだろう。
②は、①で取りこぼしてしまうような、細かいパターンや、アドリブが必要な場面で役に立つと思われる(これは理念的な発想ではあるが)。

・ふつうゲームをプレイするとき、①と②は同時に遂行されている。
ゲームが熟練したレベルになってきたとき、実力を分けるのは①Aと②Dの練度のように思える。
逆に、①Bと②Cは凡人でもできる。その代わり成長の限界値に到達し、伸びなくなる場面が来るだろう。とはいえ、この限界値はふつうの人間から見ればスゴいといえるものだが。
(これは比喩だが、教師あり学習を①、教師なし学習を②とするのも、分かりが良さそうではある。厳密には違う気もするのだが。)

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・③は、表現や商品など、相対的な尺度が存在するゲームについて言える。
逆に、スポーツや普通のゲームにおいて尺度はひとつしかないため、③はほとんど意味がない。