仕事とゲームのメンタル1:マイナス面

▼仕事とゲームに共通する(と個人的に思う)メンタルの特徴。マイナス面。

①怒り
②虚無感
③絶望(心が折れる

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・対人ゲーム的な怒り
*敵がウザすぎてイライラする、というもの。敵が強すぎて何もできずに殺されるなど。仕事では、その対象の複雑さ(面倒くささ、処理のしにくさ)にイライラする
*味方にイラつくのもあるが、それほど大きくなく終わる(忘れる)。これには個人差がある:ex.本気で味方にキレる野良
(ただし仕事の場合、長い期間同じ味方と過ごすので、運ゲー(恋愛ゲーや育成ゲー?)になってくる)
【対処法】まずは深呼吸したりして気を落ち着かせる。
①対象を整理したり段取りすることで難易度を落とし、怒りを起こしにくくする
②筋トレや散歩など、他のことをして気を逸らす

運ゲー的な怒り
*配牌がクソ、リーチに突っ込んできたやつに負ける、Acesで負けるなどの理不尽への怒り。怒る対象など無いので、とりあえずゲームに怒っている
【対処法】
①自分の意思や意図、目的や目標に目を向け直す(結果を見ず、過程に集中する)
②正しい確率や戦略がある場合、それらを確認する(意図が正しければOKとする)

・あらゆるゲームに付随する虚無感
*ゲームをある程度長時間(それなりの期間)やると、空虚さが襲ってくる。「どうしてこんなことしてるんだ?」的な感情。これは仕事というよりは、どのようなゲームでも同じこと
*プラグマティックな理由付けもできるが、これは悩みを深くするだけでむしろ不経済:ex.「これをやっている間に他のことができた」など
【対処法】
どのような活動にも付随する一種の疲れのようなものなので、虚無感は無視してやり続ける。疲れは疲れで処理する

・壁や残余をみることによる絶望
*自分の前にそびえ立つ困難さ(壁)を直視すると心が折れる
*自分としてはけっこう頑張ったつもりなのに、まだまだ先がある(残りがある)ことがわかると心が折れる
【対処法】基本的に絶望に対しては、目の前のゲームに集中しメタ認識をしなければ良い
①壁については、段取りや計画に置き直せば気が楽になる
②残余については、残余は無限に認識することができる(他の仕事から残余を吸収する、完成をも残余とみなす等)ので、考えること自体が無駄と言える

・比較による絶望
*自分と他人の能力を比較して負けてると感じたり、他人が同じ労力で自分よりできると認識すると、心が折れる
【対処法】上に同じ:基本的に絶望に対しては、目の前のゲームに集中しメタ認識をしなければ良い
自分の目的や目標だけを直視する

2022精神まとめ

▼要点
SNSの情報制限を進めて、精神が安定した
鬱状態のパターンが少し明確になってきた
③楽しみや快感のパターン化も進めたい

▼抱負
①仕事やりたくないが……、
②もうちょい人と会ったり新しいところに行く機会を増やす(ための準備をする)

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TwitterYouTubeでみる情報の量を制約したところ、精神が安定した。
たとえば今年はウクライナの戦争が始まったわけだが、最初の方は追っかけていたが、夏ごろから追わなくなった。精神的負担がすごい情報のわりには、別に自分ができることなどほとんどないし、もっと精神が強い人が頑張れば良い、という反倫理的・後ろ向きな理由から情報収集をストップして、わりかし楽になった。
また、Twitterのタイムラインをまめに整理した。出所が不明な情報や、バズってるだけで意味のない不快になるだけのツイート、これらがリツイートされたら、リツイート主のフォローを外す、という単純な方法で整理した。いつもそういうリツイートをしない人物がそういう話題に触れるとき、めっちゃ疲れてるんだろうな、と思う。その証拠に、そういう人のメディア欄は実り豊かでない(新しいコンテンツが出てきてない)場合が多い気がする。ツイッターやめろ。
YouTubeも関連動画が汚染されないように、マメに手入れをした結果、きれいになったので良かった。ほんとうに。
2021年まとめを見ると、こういう情報制限系は始めてたっぽい。偉いぞ~。

鬱状態のパターンが少しずつ明確になってきた。
これについてはもっと記録が欲しいし、記録を貯めておくスペースも作っておきたい。
鬱状態に入りやすい条件(これはチェックリスト化できる気がする)が揃っているときに、②外的なきっかけがあると、一気に精神が不安定になっていく。
②は、分類や対策はできるがどうにもならないときはならないので、できるだけ①の条件を不成立にさせておくことが重要。①には当然体調の良し悪しが関わってくるので、もっと改善したい。
具体的な鬱状態のパターンも、そろそろ整理して書ける気がしている。たとえば、けっこう決まったパターンの内言(心のなかで何かを呟くこと)が現れる。その内言の内容が精神の安定性とけっこう関係がある、たぶん。

・自分の楽しみをもっと上手く見つけれるはず。
たとえば、今年は夏からドイツ語の単語をノートに書き留める作業を始めた。まるまる5ヶ月で約60ページまで進んだ。当然ながらペースは落ちているが、まだやる気はそれなりにある。これは遠い目標として独検を受ける、というのがあるが、特に意識せずに、目の前の作業を淡々とこなすことを主眼にしているし、それが楽しみになっている。これは単語帳を覚えるのでは得られない快楽なので、続けていられる。
こういった自己完結的な快楽を追求することが、自分にとっては大事なのだと再認識する。

・仕事やりたくないが……、社会的立場が怪しいのでやんないとな、と思ってはいる。ずっと。
というのも、①父親の会社に依存し過ぎたくない(建築業の業態が好きじゃない)、②一人暮らししたい、③あんまり仲良くない人と会いにくい、④親族の視線、といったデメリットが顕在化してきた(というか今ごろわかってきた)のである。この立場けっこうキモいんだよな~。無職フリーターしかわかんねぇと思うけどさ~。
①~④が肥大化する前に、仕事に関する精神の問題を明確化したいのだが、マジでムズいんだよな。世の中の人間はみんな天才だよ、あまりにも神秘的過ぎる、この世で多くの人間が労働しているという事実は……!(大げさ過ぎる)
がんばろぉ~。

・もうちょい人と会ったり新しいところに行く機会を増やす(ための準備をする)。
人と会ったり、新しいところに行くと、身なりが改善したり、体力が付いたり、ちょっと良いことがあるので、そこら辺のボーナスポイントを貯めたいという感じ。
基本的にはこういうのが異様に苦手なので、自分なりに整理して行けるようになるといいな、という感じ。

おわり。

▼エイム考察(デスマッチ)

◆考慮すべき4つの要素
①ヘッドライン(HL)にどれだけエイムが合っているか
②プリエイムの点(相手が通過・ストップすると予測した点)の正確さ
③射撃するタイミング
④予測した点からズレた分の修正力(マイクロフリック)
(これらに、①(おもに)走り、②ピークの使い分け、といったキャラコン要素が加わる、と考えられる。)

※備考:プリエイムの点が完全に正確なら=相手が通過・ストップする位置が完全にわかっているなら、ただのタイミングゲーになる。そのためにクロスヘアの置き位置は重要だし、相手は必ずHLを通過するのだから(しゃがまない限り……)、HLも重要。すべての撃ち合いで予測が当たるわけでもないので、修正力も大事。そして、地味に射撃するタイミングも重要ではある。

◆4要素を考慮したミスパターンの考察
・HLにエイムが合ってない:HL自体は必須ではないが、合っているだけで他要素を合わせやすくなる。カスタムで練習可だが、録画などしないと合っているか確認しにくい。
・予測点(クロスヘアを置く位置)の修正ミス(手前/通過):相手の動きに合わせて予測点を変える。HL上のフリックは、射撃場の訓練で練習可能。
・タイミングミス:Valoの射撃場では修正が難しいかも。

◆備考・メモ
・相手がレレレをしているときは基本的に当たらない。正面で撃ち合っているとしても、相手がこちらに背を向けているとしても。一般的には、相手が動きを続けている途中では当てにくい。
・練習①:擬似的にプリエイムして(横からクロスヘアを平行に動かして)ストップした位置に頭を合わせる練習。キャラコン練習。
・練習②:相手の飛び出し位置にプリエイムしていく練習。(これはデスマッチで十分か)

◆デスマッチとコンペ(普通のマッチ)の相違点
・攻めと守りでマップの使い方やクリアリングのやり方が変わる
・エージェントや作戦の役割によっても、クリアリングのやり方が変わる
・相手の動きが変わるので、プリエイムすべき点やタイミングが変わる
※デスマッチで練習できるのは、相手の「走り+オーバーピーク」というパターンしかないうえ、マップのうち使う部分も普通のマッチと大きく異なる。そのため「デスマッチは練習にならない」という言説が存在するのも頷ける。

2022-06-26:ゲームについて①

*ゲーム(というか学習)についてのメモをはっつけておく。

 

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・①既にあるパターンを身に付ける、ということと、②がむしゃらにやって自分なりのパターンを見付ける、ということの両方をやっていけば、どのような表現ゲームもある程度の完成度になる。
そこで、③誰かにとっての価値を見出だす、は運の要素もあり難しい。ただし「誰か」の解像度を上げることで、運の要素をできる限り排除することもできる。

・理屈としては上記の通りなのだが、①~③にはそれぞれ心理的(ときに身体的)障壁がある場合が多く、誰しもできるという訳ではない。
(誰しも心理的障壁を排除できる、と想定することもできるが、現実問題として難しいのではないか。)

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・①は、反復練習が基本になるために、そうしたコツコツしたことが苦手な人には酷である。また、①には「熟練した動きからパターンを見出だす」という技術も必要なゲームがあり、観察眼がない人も厳しいことがあるだろう。②を強烈に追求する場合、①は忌むべきものにさえなる。
①は、A:上手い人の動き(お手本)からパターンを見出だし、B:パターンを反復練習する、と分解できる。
お手本が既にあるゲームも多く(暗記もの、書道など)、こういう場合はBだけで済む。
この世のほとんどのゲームは、①さえ完璧にできれば中級者にはなれる。個人的な偏見だが、官僚になるようなオールマイティな人間は、①が身に染みている人たちかと思う。
(対人ゲームは、相手の行動を読むというのも重要な要素だが、ここでは相手の動きをパターン化すると捉え、①に含めている。)

・②は、スポーツや芸術において重要になる。
スポーツでは、骨格の違いなどもあり、一般化(パターン化)できない部分が常に存在する。他の選手や教本を真似するよりも、自分で試行錯誤して「コツ」を掴むほうが早いことさえある。芸術では、手癖や声質などの個人的な違いを伸ばしていくことで、価値を産み出すことができる場面がある(これは評価軸にもよるが、現代の一般的な社会であれば、オリジナリティは歓迎されるはずだ)。
②の具体的な方法は、次のように分解できるだろう。C:とにかく何度もゲームをプレイする、D:成功したパターンを繰り返し、失敗したパターンを捨てる。
このように②の方法は、まったく効率的ではあり得ず、とにかく時間がかかる。②を遂行している間は、成長が遅くなる。そのため、せっかちな人、成長が感じられないとつまらなくなる人にとっては辛いだろう。また、何が成功で何が失敗なのかわからないときも、上手く行かないだろう。
②は、①で取りこぼしてしまうような、細かいパターンや、アドリブが必要な場面で役に立つと思われる(これは理念的な発想ではあるが)。

・ふつうゲームをプレイするとき、①と②は同時に遂行されている。
ゲームが熟練したレベルになってきたとき、実力を分けるのは①Aと②Dの練度のように思える。
逆に、①Bと②Cは凡人でもできる。その代わり成長の限界値に到達し、伸びなくなる場面が来るだろう。とはいえ、この限界値はふつうの人間から見ればスゴいといえるものだが。
(これは比喩だが、教師あり学習を①、教師なし学習を②とするのも、分かりが良さそうではある。厳密には違う気もするのだが。)

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・③は、表現や商品など、相対的な尺度が存在するゲームについて言える。
逆に、スポーツや普通のゲームにおいて尺度はひとつしかないため、③はほとんど意味がない。

2022-05-26:恋愛2

恋愛について

・久しぶりに本をわりかし読んでいて、読んでいると書きたくなるので、リハビリがてらこちらで発散する。あとちょっとだけ暇な時間ができているというのもある。

・以下のぐんぴぃの動画をみて、共感があると共に微妙な気持ちにもなった。
https://youtu.be/bcHiGlGtQAA

 

・前にも自分の恋愛観的なものは書いたことがあるが、あえて見返さないで書いてみる。

 

(追記:

①恋愛についての思索は思い付いたらまとめたりして続ける。

②自分の社会的な欠点を洗い直し、それらをすべてさらけ出せる準備をしておく。

③ゲームへの参加と実践をする。それに伴う恐怖感を分析する。)

 

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・人間や社会に対する恐怖心

恋愛というか、人間や社会に対して不安を感じることが増えてしまっているというのがある。恋愛以前の問題。
とりあえず社会に対しては、あらゆる行動を制限される可能性としての恐怖(社会のもつ強迫神経症的な部分への嫌悪)、人間に対しては(こちらのほうが幾分かマシだが)、絶対に仲良くなれない存在とマッチングする可能性への恐怖。
社会とは、罪と罰が適当なくじ引きで到来するクソゲー、という観念が強まっている。あと下振れすると、罪を犯していなくても罰が訪れるということもあり、クソと言えばクソである(理不尽である)。
社会=人間=関係性恐怖(というか面倒くささ?)、これが恋愛という関係性においても現れているという前提がある。

*しかしこの1年で、自分のメンタルコントロール自体はかなり上手くなった。それは、あらゆるストレス源を把握し、それらを避け、避けようがないストレスに対しては時間や行動で解決する、というのが有効であったから機能した。このストレス源が増えて避けがたくなり、解決する方法がなくなってしまったら、また社会から逃げ出すことになり(適応障害とやらになり)、また変な罪悪感を植え付けられることになる(この罪悪感が、最悪の鬱スイッチにすらなりうる)。何度も書いているが、社会で最低限生きていくことに必要なのは、社会を渡り歩くゲームの上手さではなく、精神の強さだけである。こういった観念が年々強まっている。あまり良いことではないと思う。

**本当は、普通の社会に属していなくても、いわゆるヒモとして生きる道は可能性としてはあるのだと思うが、ヒモになることの怖さはそれなりにあるので、無理!となる。ヒモになることで、おそらく上下関係が出来やすくなる(純粋な主人か純粋な奴隷)、という怖さがある。人間関係にそういうのは望んでいない。性的な望み(性的な上下関係への欲望)は無いわけではないが、生活の全部に及んで欲しくはない。こういう微妙に保守的な部分が、僕という人間の中途半端さに繋がっている。
とはいえ現在、親のスネにかじりつきまくっており、それに対する罪悪感はかな~り努めて減らそうと日々思っており出来てもいるので、ヒモの才能が無いわけではないとも思う。自己肯定感も割りと上がったので、精神面での準備は出来ている。お金持ちで誰かを養いたい女性、カモン!(といいつつ恐怖感は抜けず。あと後述するかもだが全然「選り好み」しているので、無理なもんは無理や。)

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・書いてて疲れたので、あとはちょっと書き置きだけする。「選り好み」の部分など。

・前も書いたかもしれないが、自分のなかにゲームとしての恋愛を受け入れられない自分が未だにいることに、最近ショックを受けている。20代も後半となれば、自然的な恋愛や運命論など存在せず(いや、そんなものは最初から存在しなかったのかもしれないが)、ゲーム、ゲーム、ゲームである。市場、市場、市場である。競争、競争、競争である。書いてて気が滅入るが、まあそれほど間違ってはいないだろう。
ゲームであるからには上手くなることもできるだろうから、そこだけは救いかもしれない。たぶん、余りの虚しさに精神をやってしまうかもしれないが……。
ゲームとしての恋愛は、釣りの感覚が強いのもあるかもしれん(やったことねえけど)。「自分はこの人を騙しているんじゃないか」という感覚。しかしこの感覚は「恋に恋する」的な状態へと容易に結び付く。振り向いて貰ったとき、それがゲームの終わりである。
(ここら辺の観念は、頻繁に出てくるし、もう少し整理ができそうではある。)

・容貌の選り好みは強くなった。これはきちんと認めておきたい。別にモデル(社会的に美人と承認された顔や身体)と付き合いたいとかそういうのではなく、性的傾向と容貌の選り好みが強く結び付き始めている、ということである。ここでは書かないが……。
ただ、社会性のある顔(あるいは稀少な顔)を求めてはいないので、選り好みの程度は狭いと思う。

・精神のコントロールをする上で、不可能性として現れる人間は受け入れがたい。
具体的に言えば、LINEの未読無視/既読無視は許せ、ドタキャンも許せ、時間守らないのもそれなりに許せ、などである。クソ人間の特徴を列挙したみたいになってて嫌だが、ここら辺を問い詰められると気が滅入る。というか「この人はそういうの許してくれそう」という精神的甘えがあって初めて仲良くなれる気がする。
実際に上記のことをバンバンやるというわけではないが、可能性は常にある。その可能性について理解がある人が良い。
そういう意味で、あまりにも「社会」に適応し過ぎ、一体化してしまってる人はキツいと思う。

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2021-10-27(絵の思索①)

 

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・絵は線画、ポージング、構図、塗りなど、幾つかの要素に分解できて、それぞれの要素で点数を付けることができる
これは評価軸を少数に絞ったときに限る。たとえばリアリズム絵画やキュビズムの評価軸は含まない。SNS上のイラスト評価軸のみを勘案する

*それぞれの要素は、さらに細かく分けることができるだろう。たとえば、線画におけるペン選び、線の入りと抜きなど。ここでは、大雑把に分けたものについて考えるつもり。

**狙うべき評価軸を絞ることは、作り手側にとっては重要なテクニックだろう。
これは予想だが(そして脱線だが)、すべての価値観に対して平均的な絵は、ひどく平凡にみえるはずだ(ものすごくぼんやりとした絵になる)。これは機械学習によって描くことができるかもしれないし、まさにそのことによって「芸術的に」評価されうるが、とりあえず今回の思索の対象ではない。

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・いわゆる「普通に流通する絵」はアニメーターや漫画の分業のように、構造化することができる
「ある要素」に特化した職人のようなものを育成することもできる(アニメーターでいう動検など)

・ある1枚の絵を完成させる1人のイラストレーターは、複数の職人から成り立っていると言うこともできる。だからこそ「この人、ものすごい良い構図描くけど、塗り下手過ぎん?」ということが起きる

*スポーツの比喩で言えば「トライアスロン」「近代五種」「400m個人メドレー」「十種競技」などと類比できる。同じ水泳であれ、50m自由形と400m個人メドレーでは要求される能力や蓄積が異なり過ぎている。
イラストレーターの難しさは総合力にあるのかも知れない。本来は分業するほど専門的で、複雑な要素を(多くの場合)ひとりでこなす能力。

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・ある要素で点数を上げていくことは、決して難しいことではない。ただこの「難しい」は、全体性や天才性を加味した言い方であって(凡人ができうるという意味であって)、誰しもできるという意味ではない

・これは、数学が得意な人物が「数学は積み上げ科目なので簡単ですよ」と言うのと似ている

*これが今回の思索の根幹である。あるセグメントを順番に極めることで、絵が上手くなるのではないか、という仮説。まあ、凡庸と言えば凡庸な思想といえる。

**個人的な優先順位としては、ポージング・シチュエーション・キャラクターデザインなどから手を付けたい。

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・さて、いわゆる芸術に属する絵は、いわゆる普通の絵と違いがたくさんあるが、僕が思うに、しばしば珍しい/新しい価値観を示す必要がある、という部分に違いがあるように思える
芸術を構成する(構成を仮定して)価値観は複雑であり、点数が一定しない

SNSで流通する絵は、昔よりも価値観が増えたように見えるが、平均点(平均曲線/曲面)は見えやすくなったように思える

・というか、複数の価値観の平均をとる、という考え方ができるようになったのでは、と思う

*ここら辺は普通に脱線してるので触れないが、重要な観点ではある。
特に、芸術的な絵には描き手の実存が掛かっていたりもするので、扱いが難しい。そもそも点数を付けるとか、評価をされるという思想と分が悪いようにも思える。この手のものについては、また今度考えたい。

2021-09-15(勉強メモ③)

 

【以下のメモは2021-09中に書かれたが、時系列はバラバラである。】

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▼やり方まとめ

□ハードルを低くする
1問だけ、1曲終わるまで、など。

□勉強時間を記録する
ランニングとのアナロジー。長くしていく必要はない。モチベーション維持のため。

□問題を暗記する順番
①頭からやる、②簡単なほうからやる、いずれか。

□反復の方法
①3回ほど同じ解法を頭で繰り返す。
②1セクションが終わったら、前のセクションに戻る。1⇒2⇒1⇒2⇒3⇒2⇒3⇒4……。(※この順番に関しては、もうちょっと詰めたいところ。)
③古いセクションは、難しいものに印を付け、復習時間を短縮する。

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・手続き記憶定着作業への嫌悪感から、1日に何もしないと、一生どこにもたどり着くことはできない。以下は別のメモからの引用だが、結局はこの2言に尽きている。

【それ[最高に効率的な勉強法を考えること]は、東京と大阪間にどこでもドアが開通すれば良いな、と言ってるようなものではないか。「どこでもドアが実際にできるかどうか」についての思考実験は、それはそれは楽しいだろう。しかし、そんなことを考えている暇があれば、歩きだしたほうが速い、本当に大阪まで着きたいのであれば。】

【そして最も重要なことに、ゼロに何を掛けてもゼロである。1日ゼロ歩なら、永久に目的地にはたどり着かない。】

・「試験勉強」についての思索は楽しい。それは、試験勉強すること自体からは逃亡できているからだ。
そして一方で、上記の2言はしょせん「正論」でしかない。重要なのは、これらの言葉を理解しつつも、行動に起こせない自分がいるということを受け入れることだろうか。

・なぜ毎日の「筋トレ」を続けることができないのだろうか。基本的にはやはり「筋トレそのもの」が楽しくないからではないか。どうやれば、楽しくできるのだろう。

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・やはり、試験勉強へのモチベーションの持続が難しいと感じる。基本的には楽しくないし。この【「筋トレ」「ランニング」を毎日続ける感じ】を楽しめないと厳しいだろう。

・僕の場合、ランニングは好きなので類比して考えてみたいが、上手く想像できない。ランニングでは身体を動かす気持ち良さが発生するが、試験勉強では発生しない。僕のランニングは割りと同じ道を走っているが、それでも楽しいと思える。試験勉強における同じ問題の反復は、かなり面倒くさいと思う(気持ちよくはない)。

・僕のランニングは、あまり長い距離ではないというのもあるだろう。少し息が弾むくらいで止めている。身体を鈍(なま)らせたくない、という目的もある。

・試験勉強は常に過剰になってしまう。走るべき道が見えすぎている、というのもあるだろう。たとえば本一冊ではなく、紙1枚をやる、問題1問だけやる、とすれば気持ちは楽だ。それでも、問題を何度もやり直すことへの気持ち良さは感じない。

・「試験勉強脳」をなまらせなくない、という動機は考えうる(かなり受験マニア的な言い草だが)。

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・毎日ほんの少しずつでもやる。気長にやるべし。ログインボーナス回収的な感じ。
とりあえず1問解く、というハードルの低さでいく。

・一周目のやり方が下手な気がする。
単語暗記と同様に、頭のなかで3回くらい繰り返すのが良さげ。
初見で解けたものはほぼ見返す必要がないが、それはレア。ほとんどの問題に下線はつくものと思ったほうがよい。

・簿記の難しさは、暗記量よりも「実感との解離」な気がする。概念をいじってるぶん、実感とどうしても離れてしまい、イメージしにくい部分がある。とにかく操作に慣れるしかない。
この「操作」「手続き記憶の再生」という部分にすこし困難を感じる。

・試験勉強のほうが、社会に出るより良いような気がするが、知識の種類が違う、ということかと思う。

・「この1曲が終わるまでやろう」は最もハードルの低い動機で良い。また「この1問だけやろう」も同じくらい低いハードルだろう。どれだけ低いハードルを作り出せるのか、について考えたほうが良いのかもしれない。

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・1日にどれくらいの分量ができるか、どのくらいの分量であればストレスにならないか、というのはある程度基準があり、それを超えると強いストレスに感じられる。
(それが簡単な作業であっても同じ。)

・強いストレスがあるので、ながら作業をやることになり(ながらじゃないとやってられない)、手を動かさないぶん、非常に効率が悪くなる。難しい。スマホにも逃げやすくなる。

・「難しい」印が付きまくると、ガンガンモチベが下がっていく。「これはスラスラできるようになるのか」「二回目以降やったときに、覚えていられるのか(やっては忘れてを一生繰り返すのでは)」など、ただただ不安になる。
⇒相対的にできないヤツをあぶり出し、そいつを反復することに集中する?
⇒何回繰り返せば、定着するのか?

・「演奏」とのアナロジー。一回で弾けるわけがない。何度も練習する。詰まったところは反復してやる。それと同様にできないか。
そもそも、「どこが難しいのか」がわかるまで時間がかかる。それまでは突っかかりながらも何度も通すしかない。
音ゲーなども似たように考えられるだろう。音ゲーは、突っかかる部分で終わるようにできている。プレイヤーは、その突っかかりに何度も挑戦することになる。
そういう意味では、突っかかり自体を何度も反復できる演奏や勉強のほうが楽かもしれない。

・明確な締め切りを設けると完全に嫌になるので、自分のペースで学習し、準備ができたら受験で良いのではないか。受験ペースが上がると、焦りが勝ってしまう。
ただ、ここで「足るを知る」。自分でできるこのラインは完璧にする、という目標があれば頑張れる。
(それでも、試験料が無駄になってしまう感じは強い。)

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