2022-05-26:恋愛2

恋愛について

・久しぶりに本をわりかし読んでいて、読んでいると書きたくなるので、リハビリがてらこちらで発散する。あとちょっとだけ暇な時間ができているというのもある。

・以下のぐんぴぃの動画をみて、共感があると共に微妙な気持ちにもなった。
https://youtu.be/bcHiGlGtQAA

 

・前にも自分の恋愛観的なものは書いたことがあるが、あえて見返さないで書いてみる。

 

(追記:

①恋愛についての思索は思い付いたらまとめたりして続ける。

②自分の社会的な欠点を洗い直し、それらをすべてさらけ出せる準備をしておく。

③ゲームへの参加と実践をする。それに伴う恐怖感を分析する。)

 

---

・人間や社会に対する恐怖心

恋愛というか、人間や社会に対して不安を感じることが増えてしまっているというのがある。恋愛以前の問題。
とりあえず社会に対しては、あらゆる行動を制限される可能性としての恐怖(社会のもつ強迫神経症的な部分への嫌悪)、人間に対しては(こちらのほうが幾分かマシだが)、絶対に仲良くなれない存在とマッチングする可能性への恐怖。
社会とは、罪と罰が適当なくじ引きで到来するクソゲー、という観念が強まっている。あと下振れすると、罪を犯していなくても罰が訪れるということもあり、クソと言えばクソである(理不尽である)。
社会=人間=関係性恐怖(というか面倒くささ?)、これが恋愛という関係性においても現れているという前提がある。

*しかしこの1年で、自分のメンタルコントロール自体はかなり上手くなった。それは、あらゆるストレス源を把握し、それらを避け、避けようがないストレスに対しては時間や行動で解決する、というのが有効であったから機能した。このストレス源が増えて避けがたくなり、解決する方法がなくなってしまったら、また社会から逃げ出すことになり(適応障害とやらになり)、また変な罪悪感を植え付けられることになる(この罪悪感が、最悪の鬱スイッチにすらなりうる)。何度も書いているが、社会で最低限生きていくことに必要なのは、社会を渡り歩くゲームの上手さではなく、精神の強さだけである。こういった観念が年々強まっている。あまり良いことではないと思う。

**本当は、普通の社会に属していなくても、いわゆるヒモとして生きる道は可能性としてはあるのだと思うが、ヒモになることの怖さはそれなりにあるので、無理!となる。ヒモになることで、おそらく上下関係が出来やすくなる(純粋な主人か純粋な奴隷)、という怖さがある。人間関係にそういうのは望んでいない。性的な望み(性的な上下関係への欲望)は無いわけではないが、生活の全部に及んで欲しくはない。こういう微妙に保守的な部分が、僕という人間の中途半端さに繋がっている。
とはいえ現在、親のスネにかじりつきまくっており、それに対する罪悪感はかな~り努めて減らそうと日々思っており出来てもいるので、ヒモの才能が無いわけではないとも思う。自己肯定感も割りと上がったので、精神面での準備は出来ている。お金持ちで誰かを養いたい女性、カモン!(といいつつ恐怖感は抜けず。あと後述するかもだが全然「選り好み」しているので、無理なもんは無理や。)

---

・書いてて疲れたので、あとはちょっと書き置きだけする。「選り好み」の部分など。

・前も書いたかもしれないが、自分のなかにゲームとしての恋愛を受け入れられない自分が未だにいることに、最近ショックを受けている。20代も後半となれば、自然的な恋愛や運命論など存在せず(いや、そんなものは最初から存在しなかったのかもしれないが)、ゲーム、ゲーム、ゲームである。市場、市場、市場である。競争、競争、競争である。書いてて気が滅入るが、まあそれほど間違ってはいないだろう。
ゲームであるからには上手くなることもできるだろうから、そこだけは救いかもしれない。たぶん、余りの虚しさに精神をやってしまうかもしれないが……。
ゲームとしての恋愛は、釣りの感覚が強いのもあるかもしれん(やったことねえけど)。「自分はこの人を騙しているんじゃないか」という感覚。しかしこの感覚は「恋に恋する」的な状態へと容易に結び付く。振り向いて貰ったとき、それがゲームの終わりである。
(ここら辺の観念は、頻繁に出てくるし、もう少し整理ができそうではある。)

・容貌の選り好みは強くなった。これはきちんと認めておきたい。別にモデル(社会的に美人と承認された顔や身体)と付き合いたいとかそういうのではなく、性的傾向と容貌の選り好みが強く結び付き始めている、ということである。ここでは書かないが……。
ただ、社会性のある顔(あるいは稀少な顔)を求めてはいないので、選り好みの程度は狭いと思う。

・精神のコントロールをする上で、不可能性として現れる人間は受け入れがたい。
具体的に言えば、LINEの未読無視/既読無視は許せ、ドタキャンも許せ、時間守らないのもそれなりに許せ、などである。クソ人間の特徴を列挙したみたいになってて嫌だが、ここら辺を問い詰められると気が滅入る。というか「この人はそういうの許してくれそう」という精神的甘えがあって初めて仲良くなれる気がする。
実際に上記のことをバンバンやるというわけではないが、可能性は常にある。その可能性について理解がある人が良い。
そういう意味で、あまりにも「社会」に適応し過ぎ、一体化してしまってる人はキツいと思う。

・・・